【エッセイ】怒りって何だろう?

最近ふと気づいたことがある。

それは怒りに対する感覚が変化したこと。

感情的になり声を高ぶらせて怒るということが激減した。

感情は普通にある…でも以前なら怒りたいと思う場面で、怒りたいという気持ちがあまり湧かなくなってきた。

この間、すごく久しぶりに息子に対して声を荒げて怒ったけれど、すごく違和感を感じた。

言うべきことを言ったから、間違ってはいないと思うけれど、それでも違和感があった。

怒りながら、私は何を言ってるんだろう?と思ってしまった。

ガミガミ怒ってばかりいた時には全く効果がなかったけれど、もうずっとガミガミ怒っていなかったから、久しぶりの怒りは息子には効いたみたいだけど、何か変な感じがする。

気づかないうちに私はだいぶ変化してしまったんだ…と思った。

改めて怒りについて考えてみたら、声を高ぶらせてわめくような怒りと、今の私が抱く怒りはちょっと種類が違うんだと気がついた。

わめくような怒りと静かな怒り。

前者はどちらかというと自分中心の怒り。

後者は自分を中心にして取り巻いている世界全体を見渡して感じる怒りで、どちらかというと哀しみに近い怒り。

起こる出来事に対して良し悪しの原因を外に求めると、怒りは自分中心になる。

でも起こる出来事に対して良し悪しの原因を内に見出そうとすると、怒りは鎮まる。

なくなりはしないけど、鎮まる。

だからあまり怒らなくなったのだと思った。

無理して怒らないのではなくて、簡単には怒れなくなってしまったのだ。

ちなみに違和感を感じながらも、息子に怒ったのは、息子の身に危険が及んだらどうしよう…という不安と恐怖の気持ちを抱いてしまったから。

不安と恐怖さえ抱かなければ、もっと違う言い方ができたと思う。

リスク回避は大切だから、時には必死の怒りも必要だけれど、今の私には自分中心の必死な怒りというのは邪魔なものだということがよくわかった出来事だった。

まさか怒りに対してこんな感覚を抱くようになるとは思わなかったし、以前との変化を意識したこともなかったから、久しぶりに怒ってみてよかったと思う。

怒らなかったら変化をしっかりと感じて、こうして言語化してアウトプットすることもなかっただろう。

また変化を感じた時には、違和感をキャッチして言語化したいと思う。