うな重の記憶

4月と10月

それはうな重の月

4月生まれの夫と息子

10月生まれの私

年に2回、必ず食べに行く常連の店

電話予約で「特上3つ」がいつもの定番

2階のお座敷で待つこと約10分

予約時間に合わせ、出来立ての

うな重が3つ運ばれてくる

うなぎをほおばる前に、まずは

お吸い物を一口

いざ実食

いつもはおしゃべりな息子は

うなぎを食べる時には無口になる

いつもはお茶碗いっぱいのご飯を

勢いよくかきこむ息子が

お箸で丁寧にうなぎとご飯を一口サイズに

切り分けて、ゆっくり味わいながら食べている

うな重を食べるスピードは3人の中で

一番遅い…

明らかにうなぎに敬意をはらっている

私の手料理は一体なんなんだ?

そう不満に思いながらも

幸せそうにありがたくうなぎを食べている

様子を見ていると

また連れてきてあげたいと思ってしまう

うな重の記憶は私たち家族の思い出として

きっと深く刻まれるに違いない

息子がさらに大きく成長した10年後も

うな重の記憶を忘れないでいてほしい

https://stand.fm/episodes/65cb0648e13eeb43bf422555

 

 

 

 

 

 

 

 

【エッセイ】ヒーローになれない人

皆んなの憧れや希望の星であるヒ―ロ―。

あなたは誰を思い浮かべるだろうか?

私がぱっと思いついたのはアンパンマン

でもアンパンマンのようになれる人間はそうそういない。 

どちらかというとバイキンマンのほうが人間らしく見える。

アンパンマンvsバイキンマンの構図は、陰と陽の組み合わせと同じように見える。

ヒ―ロ―というと陽の部分ばかりが目立つ。

バイキンマンの存在は陽に偏りすぎないように陰の存在をアピールしてバランスをとっているように見える。

でもバイキンマンアンパンマンがいなくなると困るからピンチの時には助ける。

陰で全てが覆われてしまうことにはきっと抵抗があるのではないか…。

ヒ―ロ―になりたくてもなれなくて悲しみや怒りを抱えている人はいないだろうか?

バイキンマンに親しみを覚える自分を恥じたりしていないだろうか?

二元性の世界を生み出した存在は何を求めているのだろう?

別に何も求めていないのかもしれない。

この世界に意味なんてないのかもしれない。

私たちが生きることにたいして、かろうじて意味らしきものを見い出せるのは二元性の世界だからじゃないだろうか。

アニメを通じてわかりやすく陰と陽の世界を見せられていると、子ども心にも色んなことを学べると思う。

勧善懲悪なんていう単純な世界ではなく、もっと深い人間の業のようなものを無意識に疑似体験する。

全てを含んだ愛と赦しの精神を持った人間は成熟している。

いたずらにヒ―ロ―に憧れたり賛美したり、悪役を毛嫌いすることもなくなる。

この世の法則はシンプルだけど、人間の業がシンプルなものを複雑にしている。

二元性の世界を生み出したものからしてみれば、ヒ―ロ―も悪役も同じなのかもしれない。

その世界の中で人間が幾度となく繰り返してきた業を高次元へと昇華させられるのかどうか…それを高みの見物をしているものもいれば、サポートしてくれているものもいるのかもしれない。

不謹慎かもしれないけれど、大きなショ―の舞台に立たされていると考えたら自分はどんな役を担いたいのだろうか?そんな視点で人生を捉えてみると楽しいかもしれない。

ヒ―ロ―と悪役とそれに翻弄される民衆以外にもたくさん魅力的な役があると思う。

今ないのなら自分でつくりだしてみよう。

自分の人生を生きるための役なのだから。

https://stand.fm/episodes/659f757cf454f20ac10d5f27

 

 

 

 

手毬

心の臓より奥深く

絹の手毬を

内からそっと押されてる

優しい波が寄せては返し

満ちる予感に微かな騒めき

波と呼吸の歩を合わせ 

次第に満ちる時を待つ

緩む手毬の隙間から

漏れ出づるは光の筋

心の臓より奥深く

放射された光の筋

満ちる 

足りる

華ひらく

 

https://stand.fm/episodes/65bafdfb7996a6788c8713df

 

 

 

 

 

 

 

片鱗

私のからだを覆うたくさんの鱗

そのすべてが私である

何色とも表現しがたい美しい色の発光体

あなたは私のからだを覆う一枚の鱗

あなたは私を表現するための片鱗

好きなように表現しなさい

私はいつもあなたとともにいる

あなたに湧いてくるインスピレーション

他の片鱗たちとは違う表現を

私はあなたに求めている

いろんな私をこの世界で表現されること

をいつでも待っている

ありがとう

あなたとともにいる私より

 

 

 

つまりは愛

この世界は私のためにある

この世界はあなたのためにある

世界の中心は私

世界の中心はあなた

何もかもが自分の中で起きていることだから

ぜんぶ自分のために起こしているんだよ

愛は色んなかたちで顕現する

自分の世界で自分のために起きていること

そうすると行きつく先は決まってる

全てのことは「つまりは愛」

https://stand.fm/episodes/65838ef86079da5d38a9bec4

 

巡って一つ

人は美しいものに惹かれる

完璧なものは美しい

でも勘違いしないで

完璧はなんでも一人でできることではないよ

完璧な美しいもののところを巡る旅をする

行く先々で交換しあったり、ともに創作したり、鑑賞(観賞)したりする

そうやって巡り巡って一つになり完成する

ばらばらな完璧なものたちが触れ合ったり、溶け合ったり、ぶつかったり、壊れたり、飛び散ったり、すれ違ったりを繰り返す

大きな渦潮の中に身を投じながら、その中で小さな渦潮がたくさん発生している

でも最後にはみんな同じところに吸い込まれていく

結局巡り巡って最後は一つになるんだ

 

https://stand.fm/episodes/658392790357903b8d2034ef

 

 

 

 

 

 

 

【エッセイ】幸せとは「感じる力」

今日は幸せについて考えてみる。

あなたは幸せですか?

幸せとは何ですか?

こんな問いとそれに対するありとあらゆる答えはもう出尽くしているような気がする。

それでも人が相変わらずこの問答を繰り返すのはどうしてだろうか?

人間とは、地球上に存在する生命の中でもトップクラスのエゴの強さと幸せへの執着を持つ存在であることはおそらく間違いないと思う。

私も含めて大半の人間が望む幸せとは「自分の幸せ」だ。

「自分の」には自分のテリトリー内にいる人の幸せも含むことが多いので、そうするともう少し範囲は広がるが、それでもたいした範囲ではない。

世界中の皆んなが幸せになる方法を見つけて実践するのは難しいということは誰でもわかる。

でも自分の周囲のごく僅かな範囲の幸せを見つけ感じることが出来ないとしたら、それは何か大きな勘違いをしている可能性が高い。

そもそも「自分が心地よい状態であることのみが幸せだ」と定義づけてしまうと幸せでない時間が増えてしまうのは当然だ。

感情を持たない生きものならば何が起きても喜ぶことも悲しむこともない。

だから幸不幸という観念自体がない。

幸不幸を感じるのは感情があるからで、その感情に良い感情や嫌な感情というようにラベリングをすることによって、この感情を感じている自分は幸せだ、とか不幸だ、と感じている。

単純に言ってしまえばそれだけのことだ。

じゃあ生きている限り幸不幸のアップダウンに振り回されるのか…嫌だな、良い感情しか感じたくないのに…と思ってしまうと負のループに陥ってしまう。

じゃあどうしたらいいのだろう?

私が思う答えは一つで「あらゆる感情を感じる力があるということが幸せなのだ」と幸せの定義を変えることだと思う。

どんなに安全で物質的に豊かな生活をしていても、感受性に乏しい人はこちらが思うほど自分の人生に感動していないかもしれない。

人間が享受できるありとあらゆる豊かさを手に入れても、感情に乏しければ意味をなさない。

物質には限界がある。人生を豊かに彩るのは人間の感情であり想像力(創造力)だ。

エゴは私という人間がこの世を味わい尽くすためにあらゆる感情を生み出してくれる。

扱いは難しいけれど、私が私として生きるための相棒のようなもの。

でも相棒である…ということは、私の本体は別に存在するということだ。

本当の私とエゴの二人三脚でこの世を生きる。

エゴは心配性で怖がりやさんだから色々と訴えてくるけれど、本当の私がそれを受け止めてあげる。

大丈夫だよ…どんな感情を感じていても大丈夫だよ。

今ここに生きていて、感じる力のあるあなたは幸せなんだよ。

そう思えなくてもね、大丈夫なんだよ。

あなたにも私にもいつも大丈夫だということがわかっている賢い自分がいる。

困った時は賢い自分に助けを求めればいい。

だからたくさん感じて幸せを享受しよう

https://stand.fm/episodes/657bc1254cc776fb40b42e8b