私はすいか(西瓜)。
私のルーツは、今から約4000年程前の熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯にある。
日本には中国を経由して寛永年間(1624~1643)に渡来した。随分な長旅だ。
そして明治に入り、欧米から多数の品種が導入され、品種改良されながら現在に至る。
私は農林水産省より定められている、野菜でもあり果物でもある「果実的野菜」である。
かつての日本では、一般家庭において私を食すことは夏の風物詩であった。
だが最近は核家族化が進み、冷蔵庫内での居場所が激減した。
そして各家庭にエアコンも完備され、食の選択肢も増えたせいで私を食さずとも涼を取り、夏を感じることができるようになった。
すでに綺麗にカットされた私の姿しか知らない子どももいるかもしれない。
カットといえば、私を食すのにはちょっとした手間がかかる。
現代社会の二ーズに合わせ、小玉サイズの私も登場したが、それでも果実的野菜の中でも大きなほうだ。
だったらいっそのこと、食べる前に遊んでしまえ!
という理由かどうかは知らないが、かつての日本ではやはり夏の風物詩として「すいかわり」という遊びがよく行われていた。
目隠しをして、地面に置かれた私を棒で叩き割るという物騒な遊びだ。
人間には遊びかもしれないが、私にしてみたら狂気の沙汰としか思えない。
無惨に叩き割られた私の可哀想な断面を想像してみてほしい。
私は人間に喜ばれて食されることには抵抗がない。
だが叩き割られるのは勘弁だ。
私にも尊厳というものがある。
叩くにしても切るにしてもちゃんとやり方がある。
昔の立派な日本の侍ならきっと、私を綺麗に逝かせてくれるだろう。
間違ってもギザギザしたような刃物を使うのはやめていただきたい。
それは痛い、痛すぎる…。
今では一夏の間に一度も私を食さない人間も増えてしまったと思うが、私には人間の体調を整えたりスタミナを補う効果があり、暑い夏には最適な果実的野菜だ。
私は人間に喜ばれて食されて、すいかとしての使命を果たすことに何の躊躇もない。
ただ、痛いのと醜いのは嫌だ。
それだけは気を使ってほしい。
ワンポイントアドバイスだが、私の種は表面の縞々模様に沿って並んでいる。
カットする場合は、縞々の間を切ると種が見えない切り口になる。
ということは、逆に表面に種が見える方がよければ縞々の上を切ればいいのだ。
また私の中心部が一番甘いので、中心から放射状になるように切り分けると、一番甘い部分を誰かと共有できるから、これは仲間割れしない方法だぞ。
私の主張したいことは以上だ。
私以外にも、人間に食されるもの全てに気持ちがある。
私たちは持ちつ持たれつの関係だ。
だから人間の言葉が喋れない私たちの気持ちも理解してもらえるとありがたい。
そうすれば、喜んであなたたち人間の血となり肉となりましょう。
〜おしまい〜
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